はじめに:「推奨」から「義務」へ—職場ハラスメント対策が新時代へ
かつて「できれば取り組んでほしい」とされていたカスタマーハラスメント(カスハラ)対策が、ついに法的義務となります。2025年6月4日、改正労働施策総合推進法が国会で可決・成立し、2026年10月1日からすべての企業・事業所においてカスハラ防止措置が義務化されることが正式に決定しました。
店舗での理不尽なクレーム、コールセンターへの長時間の罵倒電話、SNSを通じた誹謗中傷——。顧客から従業員へのハラスメントは年々深刻化しており、従業員のメンタルヘルス悪化や離職率上昇など、企業にとっても看過できない問題となっています。今回の法改正は、そうした社会的課題に対して国が本格的にメスを入れたものであり、すべての経営者・人事担当者が今すぐ内容を把握し、対応準備を進める必要があります。
法改正の経緯:東京都条例から全国へ
今回の国レベルの義務化には、明確な先駆けがありました。2024年10月4日、東京都議会は全国初の「東京都カスタマー・ハラスメント防止条例」を可決・成立させ、2025年4月1日に施行しました。この都条例の動きが全国的な機運を高め、国の法整備を加速させることになりました。
厚生労働省は2024年12月26日に開催した労働政策審議会の雇用環境・均等分科会にて、カスタマーハラスメント対策を企業に義務付ける案を示し了承を得ました。その後、2025年1月27日に法律案要綱が労働政策審議会で了承され、同年5月20日に衆議院を通過、6月4日に参議院で可決・成立、2025年6月11日に公布(令和7年法律第63号)されました。さらに2026年2月26日には事業主が講ずべき措置を具体化した指針が公布され、2026年10月1日からの施行が確定しています。
何が義務化されるのか?改正のポイントを3つで整理
① カスタマーハラスメント対策の義務化
これまでカスハラ対策は「推奨される取り組み」に過ぎませんでしたが、2026年10月1日以降は「必須のコンプライアンス」へと変わります。企業規模(大企業・中小企業)を問わず、労働者を1人でも雇用しているすべての事業主が対象です。中小企業への猶予期間は設けられていません。
厚生労働省が定めるカスハラの定義は、以下の3要素をすべて満たすものとされています。
- 顧客等(取引先・利用者を含む)からの言動であること
- その言動が社会通念上許容される範囲を超えるものであること
- 労働者の就業環境を害すること
なお、商品の不良を指摘するなど、事実に基づく冷静なクレームは「正当な苦情」であり、カスハラとは区別されます。企業はこの境界線を社内で共通認識として持つことが求められます。
② 求職者等に対するセクシュアルハラスメント対策の義務化
これまでセクハラ防止措置の対象は「労働者(従業員)」に限定されていましたが、改正法の施行により「求職者等」も対象に加わります。具体的に対象となる求職者等の範囲は次のとおりです。
- 採用面接に参加する求職者
- 就職説明会・会社説明会に参加する求職者
- インターンシップ・採用に資する活動への参加者
- OB・OG訪問のために従業員を訪問する求職者
- 教育実習・看護実習などの実習生
また、対面コミュニケーションだけでなく、SNSなどを介したやりとりやオンライン面接・説明会なども対象となる点に注意が必要です。
③ パワーハラスメント防止指針の改正
上記2つの新規義務化に加え、既存のパワーハラスメント防止指針も改正されます。2026年10月1日には、これら3つのハラスメント対策強化が同時に施行されることになります。また、法律には「社会における規範意識の醸成に国が取り組む」旨の規定も新設され、ハラスメントを許さない社会的な意識改革も国が主導していく方針が明確化されました。
ビジネス視点:企業・経営者にとっての意味
義務違反時のリスク
今回の義務化に違反した場合、企業は行政指導や企業名の公表といったペナルティを受ける可能性があります。また、法的義務としてのカスハラ対策を怠り従業員が心身に被害を受けた場合、安全配慮義務違反として民事上の損害賠償責任を問われるリスクも高まります。
企業が講じるべき具体的な措置
厚生労働省が公布した指針では、事業主が講ずべき措置として主に以下の内容が求められます。
- 方針の明確化と周知・啓発:カスハラを許容しない旨の基本方針を策定し、社内外に周知する
- 相談体制の整備:従業員がカスハラ被害を相談できる窓口を設置する
- 事後の迅速な対応:被害を受けた従業員へのケアと再発防止策を実施する
- 社内規程・マニュアルの整備:カスハラと判断した場合の対応フローを明確化する
- 研修・教育の実施:管理職・一般従業員に対し、カスハラ対応の知識を習得させる
中小企業こそ早期対応が急務
大企業は専任の人事・法務部門を持ち比較的対応しやすい環境にありますが、中小企業・個人事業主にとっては体制整備に時間とコストがかかります。法施行は2026年10月1日であり、猶予期間はなく経過措置もありません。就業規則の改定、社内研修の準備、相談窓口の設置など、やるべきことは多岐にわたるため、今すぐ着手することが求められます。
消費者・生活者視点:一般の人々への影響
この法改正は、従業員を守るための措置ですが、消費者・生活者にとっても無関係ではありません。
- 正当なクレームは引き続き保護される:事実に基づく冷静な苦情申し立ては「正当な権利行使」として区別されます。企業側には、正当なクレームとカスハラを適切に見分ける対応力が求められます。
- 顧客との関係性の変化:企業がカスハラへの毅然とした対応方針を明示することで、サービスの提供環境が改善され、結果的に消費者全体がより質の高いサービスを受けやすくなる可能性があります。
- 就活生・学生への恩恵:就職活動中の学生やインターン参加者が採用プロセスでセクハラを受けた場合に、企業の法的責任が明確化されます。就活生は自身の権利をより意識し、ハラスメントがあった場合に相談窓口を活用できるようになります。
専門家の見解:法改正が示す社会的メッセージ
「カスハラ対策が『推奨される取り組み』から『必須のコンプライアンス』へと変わることを意味します。これは単なる法令遵守の問題ではなく、企業が従業員を守るという姿勢を社会に示す重要な機会です。」(社会保険労務士・企業法務の専門家による解説より)
法律の専門家は、今回の改正がパワハラ防止法(2020年施行)と同様に、企業の労働環境整備に大きなインパクトをもたらすと指摘しています。特に、カスハラによる従業員のメンタルヘルス悪化・離職は企業の生産性低下に直結するため、コスト面でも早期対応が経営上の合理的選択と見られています。また、措置を怠ることによる行政指導・企業名公表は採用ブランドへのダメージにつながるリスクも高く、優秀な人材の確保という観点からも対策の重要性は高いと評価されています。
国際比較:海外でのカスハラ・就労環境保護の動き
カスタマーハラスメントへの法的対応は、日本独自の課題ではありません。国際的にも就労環境保護の観点からさまざまな取り組みが進んでいます。
- フランス:顧客からの言葉による暴力・脅迫に対し、刑事罰(罰金・禁固)を設ける規定があり、サービス業従事者の保護が手厚いとされています。
- オーストラリア:職場健康安全法(WHS法)の枠組みで、第三者(顧客・利用者)からのハラスメントも含めた心理的ハラスメントリスクへの対応を使用者に義務付けています。
- ILO(国際労働機関):2019年に採択した「仕事の世界における暴力とハラスメントの撤廃に関する条約(第190号条約)」では、第三者からのハラスメントも含めた包括的な保護を加盟国に求めており、日本でもその批准に向けた議論が進んでいます。
日本の今回の法改正は、こうした国際的な労働者保護の潮流に沿ったものと位置づけられ、今後さらなる制度の充実が期待されます。
今後の展望:2026年10月以降に注目すべきポイント
法施行後の動向として、以下の点が注目されます。
- 行政指導・公表事例の出現:措置を怠った企業への行政指導が始まることで、具体的なペナルティ事例が報道される可能性があります。これが業界全体の対応加速につながると見られます。
- カスハラ関連の民事訴訟の増加:企業の義務が明確化されたことで、カスハラ被害を受けた従業員が企業の安全配慮義務違反を問う訴訟が増加する可能性があります。
- カスハラ対応サービス・ツール市場の拡大:社内研修サービス、対応マニュアル作成支援、相談窓口のアウトソーシングサービスなどの需要が急増することが予測されます。
- ILO第190号条約の批准議論の加速:今回の法改正が、日本のILO条約批准に向けた議論をさらに前進させる可能性があります。
- パワハラ・セクハラ・カスハラの一体的な対策強化:企業内のハラスメント対策が横断的・体系的に整備されるトレンドが加速すると見られます。
まとめ:この法改正の3つのポイント
- 📌 2026年10月1日から全事業者に義務化:改正労働施策総合推進法の施行により、カスタマーハラスメント対策と求職者等へのセクハラ対策が、企業規模・業種を問わずすべての事業主に義務付けられます。中小企業・個人事業主への猶予期間はありません。
- 📌 違反リスクは行政指導・企業名公表・民事賠償:措置を怠った場合、行政指導・企業名の公表に加え、従業員からの安全配慮義務違反を問う民事訴訟リスクも高まります。コンプライアンスと採用ブランドの両面から早期対応が不可欠です。
- 📌 今すぐ「方針策定・相談窓口・研修」の3点セットを準備:カスハラ防止の基本方針の明確化と周知、相談体制の整備、従業員への研修実施が対策の基本です。就業規則の改定も含め、2026年10月までの準備期間を有効に活用することが求められます。
参考情報
- 厚生労働省:職場におけるハラスメントの防止のために(公式ページ)
- 労働政策研究・研修機構(JILPT):カスタマーハラスメント対策を事業主の雇用管理上の措置義務に(2025年3月号)
- 企業法務弁護士ナビ:カスハラ対策の義務化とは?2026年10月施行で企業が講ずべき措置を弁護士が解説
- カスハラ対策義務化はいつから?罰則・行政対応・民事リスクを踏まえた実務対応を解説
- 2026年10月施行のハラスメント対策強化|カスハラ・求職者セクハラ義務化を社労士が解説
- SmartHR Mag.:2026年10月から、求職者等に対するセクシュアルハラスメント対策が全事業者に義務化されます
- 日本社会保険労務士法人:カスハラ対策は「企業の義務」へ!中小企業が今すぐ着手すべき対策とリスク回避術
- 労務ドットコム:カスハラ・求職者等セクハラ対策の義務化は2026年10月1日に施行
著者プロフィール
伊東雄歩(いとうゆうほ) / ゆぽゆぽ
株式会社ウォーカー代表取締役 / MENSA会員 / NLPマスタープラクティショナー
IQ130超のADHD経営者。「社会不適合」ゆえに会社員を2年で挫折し、フリーランスを経由せずいきなり起業。訴訟4回、2000万円の損失、役員の裏切り、オフショア開発の地獄を乗り越え10年生き残る。心理学・教育学に1000万円投資し、独自の「成長力学」を確立。現在は生成AI教育に注力し、「3年を2日に変える」AIプログラミング2Daysキャンプを全国展開中。AIフレンズコミュニティを運営。
夢は「世界征服」——世界の常識を変え、新しい価値観を提示すること。
